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北海道の南西部、北斗市の山中の台場山に、「二股台場」(北海道教育委員会の埋蔵文化財包蔵地「台場山遺跡」(B-06-102)として登載)として知られる塹壕の跡が残されています。明治2年(1869)、鶉山道を越えて箱館五稜郭を目指す新政府軍との戦いに備えてここを守備した旧幕府軍が構築したと伝えられています。
箱館戦争の戦跡としてだけではなく、城郭史研究の視点からも重要な遺跡です。


今後の調査の予定

  • 日時 今後の調査については未定です。7月中の調査を検討していますが、場合によっては冬前まで延期する可能性もあります。
  • 集合 北斗市二股台場付近の駐車場集合(後で場所の位置と写真をアップします)
  • 装備 長靴、軍手、カッパ、飲み物
  • 内容 F-5〜12までの塹壕測量調査


調査の記録

 

2018年5月26日調査のF-7塹壕

 

 


文献にみる二股台場

二股台場について記述された古記録類を抜粋して整理しました。


二股台場の沿革

二股台場の沿革を記載しています。

 


二股台場の塹壕配置

二股台場の塹壕配置のウェブ地図へのリンクです。

調査用の二股台場塹壕配置図です。

A4横二股台場塹壕配置図.pdf

 

興味深いページ

二股台場の沿革 明治2年箱館戦争と二股口 明治2年(1869)4月9日に北海道南西部の乙部に上陸した新政府軍は、ただちに西部の要衝である江差を占領します。新政府軍は「松前口」、「二股口」、「木古内口」、「安野呂ロ」の4つの攻撃軸を設定したようです。このうち、松前城のある「松前口」にもっとも大きな兵力が割かれており、ついで大きな兵力が派遣されたのが、現在の厚沢部町から北斗市を経由して函館市へ至る「二股口」でした。 この動きを察知した旧幕府軍は、4月11日頃、「台場山」に到着し、ここに陣地を構築します。 二股口の戦闘 新政府軍の攻撃は4月13日の夕方頃とされています。夜通しの戦闘の後、新政府軍は退却します。 2度めの戦闘は、4月23日の夕方頃とされています。二股台場から3kmほど西側の新政府軍前進陣地付近で戦闘が始まります。退却する旧幕府軍を追って新政府軍の追撃戦が行われ、再び二股台場付近での戦闘となりました。戦闘はまたも夜通し続けられますが、新政府軍は逆に反撃を受けて敗走する場面もあり、二股台場の攻略に失敗しました。 二股台場の退却 その後、二股台場をめぐる大規模な戦闘は行われませんでしたが、松前口、木古内口での戦況は旧幕府軍にとって次第に悪化していきました。函館平野の入り口にあたる矢不来の防御戦闘が失敗に終わったことから、二股台場は戦略的な意味を失いました。 4月29日、二股台場を守備していた旧幕府軍は陣地を放棄し、箱館五稜郭へ撤退しました。守備隊の撤退により、二股台場は役割を終えることとなりました。 二股台場の位置 <iframe width="100%" height="350" frameborder="0" scrolling="no" marginheight="0" marginwidth="0" ...
二股台場の沿革