ここでは、地蔵池 について紹介します。

在所:枚方市津田本町四丁目

【ポイント】

①.この場所は、ちょうど円通谷の下手にあたる。

②.次郎兵衛宮付近にあった畠田村は相次ぐ円通谷からの出水で廃れて、江戸時代に春日の地に集団移住した。

③.地蔵池の流れ込み口に今も念仏橋の碑が残るように、ここから山裾までには村の墓所があったと思われる。

④.この地には、自然発生的に小さなため池ができていた。

⑤.明治16年の大旱魃(かんばつ)を受けて、明治18年に掘削して大きな灌漑用の池を構築した。

⑥.地蔵祠は、地蔵池掘削の際出土したものである。

 ・早来迎(衆生に手を差し伸べられた姿)

   第一グループで片腕を差し出した地蔵さん

   星田の薬師寺の石仏は、向かって右向き、ここは左向きである。

⑦.春日神社(春日)の元宮である治郎兵衛宮の小さな祠が道を隔てた畑の中にある。

⑤.念佛橋のたもとに石碑

「念佛橋・南無阿弥陀仏・正徳3年(1713)巳7月18日」裏面は「丸休」

【関連写真】

  山根の道から見た地蔵池2012_10_11 金只  地蔵池の地蔵祠2013_04_22 金只

  地蔵池の堤防を背に地蔵と標柱2014_06_24 金只  標柱(自然巡回道路)2014_06_24 金只

【補足説明】

①.オアシス共園内の説明版より

 地蔵池の由来

 明治16年(1883)の夏の大旱魃がつづき、貯水量の少ないため池しかなかった津田南部はとても大きな被害を受けました。

 津田の人々は、今後このような大旱魃がおこっても農業ができるように、その当時あったため池を改修し多くの水を貯めることができるように計画しました。それが現在ある地蔵池の堤体です。

 その当時、池の改修には沢山のお金がかかるため多くの寄附をつのって行われ、明治18年(1885)に完成しました。

 この池底を掘っている間に、池中から太古の埋木(マイボク)が多く出てきました。このことから今から数万年前も以前、このあたりが海岸であった時に上流から赤土や砂利といっしょに流れてきて埋まったものです。

 またこの付近からたくさんの石地蔵が出てきたので、この新しくできた池を地蔵池と呼ぶようになりました。