綱島には大正以降、昭和にかけて温泉街が存在していたが戦争や東海道新幹線の敷設の影響もあって現在は当時からの流れを汲んだ温泉旅館はなくなってしまったそう。当時綱島は東京の裏座敷とも呼ばれていました。綱島だけでなく横浜には花街が存在し、多くの芸者さんも活躍していたが横浜の旅館や多くの料亭がなくなってしまったこともあり、20年前には芸者さんは一人もいなくなってしまった。しかし平成29年に、横浜オリジナルの曲や芸・伝統を復活させようということで富久丸さんという方が立ち上がり、この組合を立ち上げたよう。横浜の花街・芸妓文化は文明開化とともに始まり、モダン文化と和の文化が融合した花街で、料亭にダンスホールが設置されていたりして、そこでも踊れるように勉強していたらしく、そういうものを温泉や美味しい料理と楽しむというのも今後の横浜の楽しみ方の一つとしてありなのかもしれない。モダンで西洋的な色の強い印象のある横浜で芸妓を見るというのはなんだか斬新な感覚。(参考:https://www.tokyo-geisha.com/html/interview/05_fukumaru.php)(参考:https://geigi.yokohama/)