第42代文武天皇のお妃となり、第45代聖武天皇の御生母となられた宮子姫(藤原宮子)は、7世紀後半、九海士の里(現在の御坊市)でお生まれになったと伝えられ「宮子姫物語」が語りつがれています。

 

九海士(くあま)の里(現在の御坊市)に住む海女の夫婦は子供に恵まれないことから氏神の八幡宮にお祈りしたところ、女の子が授かりました。そこで名前を宮子と名付けました。

ところが、大きくなっても宮子には髪の毛が生えてきません。両親は悲嘆にくれていましたが、ある日、母親が海に潜っていると海底に光り輝くものがありました。それは黄金色に輝く小さな観音様でした。

持ち帰った観音様をお祀りして毎日お祈りしていると、にわかに宮子の髪が生えはじめました。髪はどんどん伸び、里の人々は宮子のことを「髪長姫」と噂するようになりました。

ある日、宮子が黒くてつやつやした紙をすいていると、ツバメが飛んできてその髪を一本くわえて飛び去りました。

奈良の都で勢力を誇っていた藤原不比等の屋敷の軒にツバメが巣を作りました。巣から垂れ下がる長い黒髪を見つけた不比等は髪の主を探し出し養女に迎え入れました。当時、長い黒髪は美人の証でした。不比等の養女となった宮子は、のちに文武天皇の后となり奈良の東大寺を建立した聖武天皇の母となりました。

宮子は黒く長い髪を授けてくれた観音様をお祀りしたいと文武天皇にお願いしました。天皇は紀道成に命じて立派なお寺を作らせました。それがあの道成寺だと言うのです。

ーー御坊市HPより転載ーー