紀州藩の砂糖づくりは1736年廻船業を営んでいた有田郡箕島村の田中善吉が薩摩藩から櫨実と共に甘藷を持ち帰ったのが最初である。

徳川治宝紀州藩主の殖産政策の中で寛政2年(1790)野口村の前田清右衛門が讃岐より甘藷苗を取り寄せたのが日高での砂糖づくりの始まりである。

紀州藩が砂糖づくりを奨励したため、その後10年間で44か村に広まり盛大を極めた。

江戸末期の日高郡には2軒の砂糖問屋があった、島村の橋本屋藤兵衛と小松原村の橋本太治兵衛である。

嘉永4年(1851)日高郡主要産物

産  品   年間上代銀   販  路

綛  糸   1100貫目   京、大阪

砂  糖    250貫目   江 戸

蝋  燭    230貫目   江 戸

昭和になり大工場の製品が入るようになってからほとんど作られなくなった。

「御坊市史」より抜粋