由  緒

旧別当神宮寺の「古記」によると、永延年間(8世紀末)、当地に大蛇が出没して人畜、作物に害を与え住民を困らせていた。そこで熊野参詣の紳道者の勧めによって出雲の素戔嗚尊の分霊を勧請したところ大蛇は退散した言う。    中世には武塔天神宮と号し、天満天神、武塔天神、蔵王権現の三座を祀る神仏習合の神宮寺となって栄えた。     山田庄九か村の鎮守として尊崇を受け、持統、庄司などから田地の寄進も受けた。

明治3年、神仏分離し社号を須佐神社と改め、神宮寺の社僧に代って神職が置かれることになった。         明治6年、社格を村社と定められた。                                           明治41年、神社合祀令により、氏子地域内の小社14社が当社に合祀された。

お 祭 り

3月10日は祭神の素戔嗚命の御神徳を称える「おとう祭り」という特殊神事があり、和歌山県無形民俗文化財に指定されている。氏子5地域の五人の長男が一年間斎戒をして、当日神前で太幣を振るって氏子の平安と豊作を祈願する。頭屋制の名残。

例大祭 10月9日、10日