ここでは、トロッコ列車橋脚跡 について紹介します。
在所:郡家本町42
【ポイント】
①.大正6年の「大塚堤防切れ」の修復のために郡の訓練場があった南平大付近の山から土を運ぶために作られた鉄道。
【関連写真】
現地未調査
【補足説明】
①.現地案内板(トロッコ列車の橋脚跡)より
昭和15年(1940)から昭和30年代まで、芥川沿いにトロッコ列車が走っていました。淀川の堤防工事に必要な土砂を現場まで運ぶための列車で、優勝「土列車と呼ばれました。第二中学校北側の土取場(現南平台一丁目)から芥川右岸を南下し、現在地付近に架かっていた橋を渡り、左岸を大塚の現場までさらに南下していました。堤防のお完成後は配線となりましたが、駐車場奥から左下の川岸に、残された橋脚の基礎を見ることができます。
平成26年3月 高槻市教育委員会
【参考情報】
インターネット:里山徘徊放浪記(トロッコ列車橋脚跡)
Localwiki:大塚の堤防切れ