ここでは、一乗寺に伝わる『伝説(枚方の鶴の恩返し)』 について紹介します。

在所:岡南町周辺

鈴見が松物語(枚方にも鶴の恩返しの話あり)(枚方風土記 孝子鈴見と別子山より)     

  このあたりは、昔は万年寺山の続きとして別子山と云う名の山があったのですが、昭和15年の淀川堤防築造工事の際、山を切りくずし大量の土砂を取ったため、惜しくも無くなってしまつた。枚方信用金庫の建物が見えるところまであったそうです。そこに樹齢何百年という松の大木があり「鈴見が松」と呼んでいました。いまは無くなって代わりにここに新しく植えられたのがこの松です。この松にまつわるお話をしましよう。

 推古天皇の御代、つまり西暦600年頃のお話です。鈴見(スズミ)という一人の若者が年老いた母と二人で暮らしていました。ある日、交野の農家に出稼ぎに行った帰りです。天の川の河原で56人の子供が一羽の鶴を殺そうとしていました。鈴見は可哀想に思いなけなしの金を払いその鶴を貰いうけました。鈴見は、鶴の傷の手当てをし餌もあたえ10日程の間に鶴はすっかり元気になったので鈴見は鶴を抱いて山へ行き鶴を放してやりました。鶴は嬉しそうに大きな翼を羽ばたいて「鈴見さんありがとう。このご恩は決して忘れません。」と名残を惜しむかのように淀川の方に向かって飛んでいきました。

 その後、ある日のことです。一人の気品のあるとても美しい娘さんがやって来ました。

どうかわたしに、あなたのお母さんの看病をさせてください」と云って、かいがいしく病人の看病を始めるではありませんか。病人は涙をながして喜びました。鈴見は「どうか、母をよろしくお願いします」と娘の前で両手をつきました。鈴見は、以前のように交野の里に働きに出られるようになり、稼いだ金は全部娘さんに渡して家事一切を切り盛りしてもらうことにしたのです。村では、貧しい家によくぞ美人で気だての優しいお嫁さんがきたものだと大評判になりました。

 ある日のことです。母は、息子と娘を枕許に呼んで云いました。「ほんとに長い間お世話になりました。親孝行な息子をもち、おまけに親切な娘さんからこんなに手厚い看病をしてもらったわたしは、日本一の果報者です。お陰でわたしは大往生をとげさせて頂きます。もうこの世になにも思い残すことはありません。あなた方二人は夫婦になって何時までも仲良く暮らしてください。これが今生の最期のお願いです」そして母の容態が急に変わって、深い眠りにつくように、安らかな最期をとげたのです。

 二人は、泣く泣く野辺の送りを済ませた後、晴れて夫婦となったのでした。夫婦の仲は村人たちが羨むほど仲むつまじいものでした。

 やがて男の子が生まれ五つになったときのことです。ある日、鈴見の妻はこの子をつれて、鶴を大空へ放した例の山の上へ登り、子供にこう云ったのです。「可愛い我が子よ。ようく聞いておくれ。お母さんは天上界にすむ天女なのです。日本は仏教が伝来して以来、さながら極楽浄土のようになっているらしいので、一度地上におりて見届けてくるようにと命令をうけたのです。そこで私は一羽の鶴となって飛んできたのですが、流れ矢に当たり子供達に捉えられたところをお前のお父さんが命を助けてくださったのです。私は、このご恩に報いるため、今度は美しい人間の娘になって、お前のお父さんの家にはいり、病気のお婆さんにお仕えしたあと、お父さんと夫婦になったのです。親子三人で仲良く暮らしたいのですが、天上界の掟で今日限りで帰らなければなりません。お母さんがいなくなっても、お父さんと二人で幸せに暮らしておくれ」と云って一羽の鶴となって大空へ舞い上がりました。子供は泣く泣く家に帰りお父さんに知らせました

 「そうか、お母さんは天女だったのか」といって涙が止めどなくこぼれ、我が子をひしと抱きしめました。やがてこのお話は聖徳太子の耳に入り孝行息子鈴見と天女の物語に感動されて鈴見に地蔵尊をお授けになりました。鈴見はこのお地蔵様を大切におまつりしたところ、金持ちになり子供とともに幸せな生涯を送ったとさ。

 のちの人は天女が涙ながらに子供と別れを惜しんだその山を、子別れの山、別子山と名付け、そこにあった松の木を鈴見が松と呼ぶようになったのです。