ここでは、古城公園 について紹介します。

在所:津田南町二丁目38

【ポイント】

①.伝承の地名から「古城(ふるじょう)公園」と命名。

②.発掘調査では、弥生時代の居住跡を発掘。

【関連写真】

 古城公園全景2020_12_01 金只   案内板(古城公園)2020_12_01 金只   

 児童遊園施設2020_12_01 金只   隣接地は下水道局の広場2020_12_01 金只   

 

【補足説明】

①.現地案内板より

 津田地域は、中世に東高野街道が通り、京都・大和(奈良)・河内(大阪東部)を結ぶ要衝となっていました。現在、第二京阪道路が通っている場所付近には、ばばん谷・門口・城坂・本丸山・古城(「ふるじょう」・「ふるじろ」とも)などの小字名が残り、本丸山では、中世の城に関連する堀切や焼失建物跡、推理施設などが発掘されています。また、城坂には砦があったと言い伝えられてきましたが、発掘調査ではそれを示すものは見つかりませんでした。

 古城とはこの公園付近を指し、平安時代からこの地に勢力をふるった中原氏の居館があったという伝承から、そう呼ばれたのではないかと考えられています。しかし、発掘調査ではここも居館跡ではなく、もっと古い弥生時代の居住跡が確認されたに過ぎません。

 なお、「ふじろ」とは、「古い田哺や畑(畠)」を意味するという説もあります。