ここでは、浄土院(平等院) について紹介します。

在所:宇治市蓮華115

【ポイント】

①.宗派:浄土宗

②.鳳凰堂の塔頭の場所に栄久上人が平等院修復のために明応年間(15世紀後半)開創した寺院。

③.本堂の廊下の正面に救世船乗観音像がお祀りしてある。

④.本堂内陣中央に阿弥陀如来坐像、左に法然上人像、右に善導大師像が安置。

  左脇壇には5躯の阿弥陀如来立像が安置。

⑤.本堂右手に羅漢堂、左手に養林庵(重要文化財)がある。

⑥.山門は、伏見城の医薬門を移築したもの。

⑦.本堂右側の墓石などは、いずれも江戸時代の茶に関わりのある人で、浄土宗の勢力伸長の証か?

【関連写真】

 浄土院本堂2020_09_15 金只      

 救世船乗観音2020_09_15 金只   説明板(救世船乗観音)2020_09_15 金只   

 宇治茶祖竹庵の碑誌元禄12年)2020_11_11 金只   通園宇治本店第23代当主亮太郎の墓2019_05_02   石造層塔2020_11_11 金只   

 

【補足説明】

①.現地案内板(浄土院)より

  浄土院

 浄土院は平等院の塔頭(タッチュウ)で、浄土宗の栄久上人が、明応年間(15世紀後半)に平等院修復の為に開創した寺と伝わり、「都名所絵図」には「平等院奥院」「浄閣」などと示されている。江戸時代には養林庵や知学庵など浄土宗の子院が鳳凰堂西南を中心に多数存した。浄土院には平等院に関係する多くの文化財が残されている。そのうち、養林庵書院(重要文化財)は桃山浄の遺構と伝えられ、障壁画は、床の間の図が雪景山水図、襖は〇に梅図、天袋は花卉図で構成され、作者は、その作風から狩野山雪と考えられ、京狩野の代表的作家の特色を著した作品として、その価値は極めて高い。

 また京都府指定文化財として平等院修造勧進状一巻・平等院旧起二巻、細川三斎作庭と伝わる養林庵書院庭園があり、宇治市指定文化財として木造帝釈天立像(平安時代後期)、木造阿弥陀如来立像(鎌倉時代後期~南北朝時代)、和漢朗詠集登下断簡(平等院切)(平安時代末期がある。

帝釈天立像は、やさしい着衣にやや重い感じを付加され、程よい量感のなかで、少年相の清純な感じの相貌や、浅く柔らかな衣紋表現に、10世紀から11世紀前半にかけて活躍した仏師康尚(コウショウ)(定朝の師)の特色がはっきりと滲みでている。阿弥陀如来立像は、ヒノキ材を用いた寄木造りの堂々たる大作の像で、両手首先から台座を含めて当初のまま残っている。うつむきの頭部、生々しい感触を持つ指先などに当代の特色がよく示されている。

 和漢朗詠集巻下断簡は、巻下雑部のうち、禁中・古京の全15行文である。古来筆者を源頼政(1105~1180)と伝え、平等院切という名称も頼政との関係で付されたと思われる。本稿は平等院切の中でも、全15行文の断簡として大きく、古筆研究はもとより、国文研究などの資料としても貴重である。

 また、古図によると平等院山内で最も古い書院として大書院(非公開)があり、蘭香斎玉寶の獅子図4面や後醍醐天皇が三種の神器を納め平等院に逗留したと伝えられる御座所などが残されている。

②.現地案内板(救世船観音)より

 江戸時代より、現在の鳳翔館西南あたりに旅の安全と無事を祈願し、浄土院子院として観音堂が建立されていました。

 本尊は、波型の台座に船に乗る俗に言う「船乗観音」

 旅の安全を祈る旅人や家族の方、航海の無事を祈る方、人生を長い旅路として一生涯の無事を願う人々、成人式や様々の人生儀礼に際してお参りする方など、交通の要衝であった宇治の平等院の中で、大変篤い信仰を受けていました。

 しかし、戦後まもなく盗難に遭い、それ以降、厨子と台座、守護礼が残るばかりでした。

 この度、平等院開創950年記念事業の一環として、佛師村上清氏の直技彫をもってそれを復元し、開眼・浄土院本堂に安置を行いました。

 阿含経には、「人間遊行」とあり、人生は長い旅路としめされています。

 旅といのちに想いを馳せる。尊い菩薩です。

 残された古版による守護礼の刷り直しも行っています。