ここでは、香里引込線跡 について紹介します。

在所:京阪バス香里団地支所からJR学研都市線星田駅まで

【ポイント】

①.開通は昭和16年(1941)年9月21日、撤去は昭和23(1948)年10月ごろである。

【関連写真】

 

【補足説明】

①.枚方市立中央図書館リファレンス協同データベースより

 『交野町史』には、星田駅から旧陸軍香里火薬製造所へ通ずる専用鉄道が開通し、機内も拡張され専ら軍需品の輸送やまた工員の通勤に大いに利用されたが、戦局が深刻となると共に列車の回数は減り昭和19年10月には金属回収のため同駅の待合所も一部撤去され終戦頃の車輌や線路の状態はみじめなものであった。第二次世界大戦から終戦直後にかけての荒廃振りは御多分に漏れなかった、と書いてある。

 森井貞雄は、「香里団地以前」で香里工廠からの「軍用側線は茄子作集落の西側をほぼ直線的に南に抜け、急カーブして国鉄片町線星田駅の北側に接続した。(中略)戦後、軍用側線は1948年頃まで撤去資材の搬出などに用いられた。なお、1970年ごろまでに路線敷の掘割、盛土、鉄橋などが残っていたが、現在はJR星田駅周辺以外は道路に拡幅され現況を留めない。」と記述している。
 枚方市市史資料室所蔵の昭和27年航空写真や昭和37年の地図では、引込線はまだ道路にはなっておらず、昭和41年、43年頃に一部道路化、45年にはほぼ現状通りとなっている。津田駅からの引込線は国道307号線になり、その一部は平成3年に「中宮平和ロード」として整備されている。星田駅からの引込線は現在市道となっている。
 以上のことから、引込線は、戦後は資材の撤去・搬出に使用され、その後は国道や市道になったことが読み取れる。

【参考情報】

インターネット:戦時中の軍用鉄道

インターネット:東京第二陸軍兵廠香里製造所・・・戦争遺跡を写真入りで紹介