ここでは、高札場跡 について紹介します。

在所:三矢町3-32

 【ポイント】

①.幕府(代官)や領主が決めた法度や掟などを、庶民に知らせるために、人通りの多い場所に掲げた。

②.この場所では、親孝行の奨励、博突禁止、火付禁止、徒党を組まない、夜逃げしないなど庶民が守らなければならない掟や、人馬駄賃など宿場町らしい高札もあった。

③.高札は、幅4m、高さ3m、奥行き1.7m、土台石垣60cm、屋根付きであったと言われている。

④.    昭和以前は岡寄りに立っていたと思われる。往還道より下井戸、地蔵堂を通って意賀美神社の裏参道に続く道の京街道の角に高札は立っていた。

⑤.この外枚方宿には以下の2つの高札場があった。

  船番所付近:淀川運行に関するもの。・・・旧木南邸裏船番所跡辺り

  西見附付近:淀川の葦に関するもの。・・・西見附前公衆便所の辺り

【関連写真】

 高札場跡(専光寺東角)2013_04_19 金只​   標柱2013_04_19 金只​   

【補足説明

①.枚方宿の高札場は、この場所以外に以下の二つがあった。

 ・木南邸裏の船番所に、淀川水運関連の高札場

 ・西見附の近くに 、河川保全に関連した刈捨高札場・・・江戸幕府の「諸国河川掟」に基づく告示

 正徳元年(1711)5月(6代将軍家宣)の時、大阪奉行名で設置された。

 その内容は、年4回(4月、5月、7月、9月)に淀川の葦 を切り取らせた。

②.村野の高札場は、村野本町の入口付近に現存し、平成8年(1996)に枚方市有形文化財に指定された。

村野高札場:枚方市村野東町10番62号

③.専光寺は、本陣前にあったが、京阪の高架事業で現在地に移転したものです。

 

【参考情報】

Localwiki:村野高札場