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励まされるのが仕事

 

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励まされるのが仕事

気仙沼の人たちと話していると元気が出てくる

「うわあ、ほていさん、工場動かしてる」。タクシーの窓から真新しいクリーム色の壁に「気仙沼ほてい」の文字。白い蒸気を見て思わず声を上げた。

 

気仙沼港の一番奥の浜町のあたり。止まってしまっている大船渡線の鹿折唐桑(ししおりからくわ)の駅の近く。線路より山側は被災前と変わらない。気仙沼ほていの工場の周りは、瓦礫をよけたばかり。積まれた車や瓦礫。津波が置いていった大きな船。火災でこげた歩道橋が目についている。工場は新築のようだった。すぐ近くの本社はまだ壁が抜けたりガラスがなかったり。湾の最奥。港の対岸には小さな造船所が並ぶ。まだ船は造れない。

 

「台風が来てもさ、穏やかでな。港の奥は波もなんもないから、でっかい船でも舫綱一本さ」。気仙沼の湾は懐が深く、入り口を大島が守るので、いざというときの避難の港として使われてきたと唐桑の漁師が自慢してくれた。

大島を超えた津波は古老も経験していないという。港周辺の低地は満潮になると、かさ上げした道路以外は水がついて、田圃のあぜ道を歩いているようだ。「これでも随分、片付いたんだよ」と地元の人が笑う。

 

 

ふかひれ写真

注意してみると、下の軽トラはちゃんとした車。建物にビニールシートかけてあるのは、使うため。良く見ると、屋上にフカヒレ。右下のプレハブの横の黒いのもフカヒレ。

 

なんか黒いものが洗濯物のように干してある。「あれ、フカヒレですよ。今の時期の寒風で乾燥するんです」。天日乾燥して世界に売られてゆく。「津波かぶったところは、新しい建物は建てたらだめだって言うんだけど、残った建物を直すんならいいんだよね。だから、ほら、ああやってフカヒレ干したりさ」。

 

 

 

「建物建てたらだめだっていうんなら、政府が土地を買い取ったりはしてくれないんだろうか。それか、もとの場所に家建てさせてくれっか、どっちかにしてくれるとありがたいんだよね。高台に土地買い直して家建てるにも、気仙沼離れるにも、考え始められない人がいるんだよねえ。国も、県もどう決めるか大変だろうけどね」。なんだろう。自分のことではなく、他人の要望をかわりに話す人が多い。

 

気仙沼は宮城県。岩手県の気仙郡、陸前高田、住田、大船渡と隣り合わせ。タクシーの運転手さんは陸前高田の気仙町の方だった。旧気仙郡の経済圏が残っているように感じる。気仙沼のホテルのお兄ちゃんは「僕ら気仙沼だけ、なんで岩手県じゃないんだろうって思っているんですよ。高田は本当に大変だな。街の機能が全部だもんな。県とか関係なく、気仙郡と気仙沼で一緒にやってけばいいと思うんだよね」。気仙沼にいると陸前高田や大船渡を気遣う言葉がよく出てくる。

 

「うっそみたいにね、カウンターだけ、残っててさ、あと、店、全部ながれてしまってたの」。

お姉ちゃんがゲラゲラ笑う。つられて笑ってしまった。

「ごめん、笑い事でないな」。

「いや、笑って。大笑いしたんだからあ。わたしらも」。

「Masami」という名のスナックのお姉ちゃんが、ごついカウンターをなでる。

ママは「きてくれてありがとうね。だって、店開くのあたりまえなんだよ。お客さんは飲むとこないっていってくれるし、女の子雇っている責任あるでしょ。補助とかあてにしてらんないから、残った基礎の上に直ぐに立て直したの。ほんと、来てくれて、楽しんでくれてありがとうね」。

 

家庭料理「さかい」は、プレハブの復興商店街の近く。ビルもそのまま、二階まで波に浸かったのをなんとか自分たちで片付けて9月に店を再開していた。

「いろいろ考えたけど、この場所でやんないとなんねえなってねえ。かあさんがちゃんと鍵をしめて出かけてくれたから、店に入ったヘドロの量は少なかっただよ」と奥さんを労っていた。小魚が店の前にたまってたという。

「全国のみなさんにあれだけ助けてもらって、下向いてはいらんないだわ。前向いていがねと」。大将は、子どもに卓球を教えている。被災した時は学校の体育館にいて難をのがれた。全国の卓球仲間から送られた救援物資を隣の谷、その隣の谷と配って歩く開店までの6ヶ月だったという。

 

「辞めるなんて一回も考えなかったよ」という64歳。

「だって、そりゃ、国の力も、皆さんの力も借りっけど、恩返しもしないと。補助だなんだあてにする前に、自分等でできることしねとな」

「美味しいって、食べてくれてありがとね。いや、おれは大丈夫なんだ。子どもらからも元気にしてもらってるから。またきてくださいよ」

 

連れが静かに涙を流していた。僕らは被災地の人に励まされるのが仕事になっているみたいだ。

「こんなんなっちゃったら、前向いて這い上がるしかないから、全国の人に心配かけてたとしたら申し訳ない。もっと元気にやっているって分かってもらう努力も必要だな」

 

 

煮物

「これ、もう少ししかないから、食べて」と一人分の鰤大根をサービスしてくれた母さん。彼女の煮物は旨かった。

 

 

 

 

(取材日:2012年2月14日 ネットアクション事務局 杉山幹夫)

 

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This article( by ネットアクション事務局 )is licensed under a Creative Commons 表示 2.1 日本 License.

 

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