イザベラ・バードは,「ほんとうの日本の姿を見るために出かけたい」とその著書「日本奥地紀行」の冒頭にストレートに述べている.そして,北日本や北海道(蝦夷地)への旅を希望するのであるから,彼女は「ほんとうの日本」が蝦夷地にあると感じていたことになる.

なぜそう思ったのかという疑問はひとまず置いておくとして,その彼女の希望を聞いて,英国代理領事ウィルキンソンの返答には少なからず驚きを覚える.それは

「英国婦人が一人旅をしても絶対に大丈夫だろう」

というものであった.官民をあげて,外国人旅行客を呼び込もうとしている21世紀のはなしではない.140年ほど昔の,多くの西欧人が,日本はまだ異教徒の未開人の土地であると感じていた時代のはなしである.現に公使館からは護衛兵が一人の一般人である彼女を迎えに来ているのである.

その護衛兵もまた,ただの護衛兵ではない.サムライの白刃をくぐり抜けてきた当の本人なのである.1868年というから,イザベラが日本に上陸するそのわずか10年前に英国大使のサー・H・パークスが天皇に謁見に向かった際,京都の路上で襲撃を受け,重症を負った護衛兵であった.

襲撃を受けるパークス一行(PD World Imaging  2007)

元画像の情報

はなしは,少し脇道にそれるが,このパークスという外交官は,ひどい癇癪持ちで,彼と交渉するアジア人はひどく怒鳴り散らされ,恫喝をもって交渉をするのが彼の常であったらしい.背が高くかっぷくのよい白人に大声で恫喝され,たいがいのアジア人は交渉で不利な条件をやすやすと飲まされていたという.その話をはじめて私が読んだのは司馬遼太郎の本からだっただろうか.そのパークスも日本に赴任し,いつもの調子で日本人を大声で恫喝し始めたのだが,一向に相手の日本人が折れる様子を見せないので,交渉方法を変えざるをえなかったという.

外交交渉を恫喝で進めようとするパークスもパークスなら,それを日本刀で亡き者にしようとする日本人も日本人である.ずいぶん野蛮な時代に感じるが,ここで21世紀の現代を振り返ってみて,現代地球人の方が「野蛮ではない」と言い切れるのかどうか,少々自信がない.

司馬遼太郎風に,余談が長くなってしまったが,話をイザベラの一人旅にもどしたい.

自分たちのボスが10年前に襲撃で死にそうな目に遭っているというのに,婦人の一人旅が絶対に安全と言い切れる,その英国人の日本人と日本人社会に対する観察眼の鋭さに140年後のわれわれから,あらためて敬意を表したい気持ちである.

(CC BY-SA 2015.12.14 Yasushi Honda)

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