噴火湾周辺の駅逓 について知っていることをぜひ教えてください

「日本奥地紀行」イザベラ・バード(平凡社)471ページから引用

 

「日本の本土の場合と同じように,北海道でも,これから旅行しようと思うコースについて人から聞くことはほとんど出来ない.ふつう質問すると,日本人はぼんやりとした顔をして,くすくす笑ったり,帯に親指を突っ込んだり,羽織を引き寄せたりして,自分は全く知らない.と言ったり,あるいは人から聞いた漠然たる情報を告げるだけである.しかし実際には,当人はその土地に1度ならず出かけていて,隅々まで歩いているということも,まったくありうるのである.」

イザベラはこの不親切について腹を立てているが,まだ鎖国から開国をして10年ほどで,開港地から離れた場所への外国人の立ち入りは禁止されていた.彼女はパークスなどの働きにより特別に「科学的調査旅行」として許可を得ていたのである.通りがかりの日本人やアイヌ人が外国人に土地の情報をしゃべっていいかどうか躊躇したのではないかと想像される.

「私は函館で,北海道の沿岸を全部歩いてまわったというブラッキストン大尉(英国軍人・動物学者)に会うことができなかったので,この沿岸コースについての私の知り得た知識は,沿岸には少数のアイヌ人しか住んでいないこと,政庁所有の馬があって借用できること,その馬が手に入るところには宿舎もあること,食物としては米と塩魚だけであること,ひどい川が多く,道路はひどい山を越さねばならないこと,その方面に来る人は1年に2度来る政府の役人だけであり,1日に4マイル以上は進めないこと,峠を越える道路は大きな石だらけの道であること,などだけであった.」

ブラキストン線で有名なブラキストンの名前も出てきました.

有珠の近辺に駅逓があったこともわかります.

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