蝦夷地でアイヌの人々がおもに暮らしていたころから,和人が近代文明を持ち込むころ,つまり明治時代初期のころの室蘭の様子を知ろうと,イザベラ・バードの著書「日本奥地紀行」の旅をつづけている.

 本当の日本を見るためには,「奥地」を訪れなくてはいけないと彼女は考えた.では,その「奥地」というのは何処を指しているのだろう.蝦夷地はそのなかに入っているのはたしかだが,彼女の足どりを地図に描いてみると,新潟や秋田の都市部には立ち寄ったものの,主な行程は会津若松や米沢,山形,横手など東北の内陸部である.それらの地方にも本当の日本の姿があると彼女は思っていたと想像できる.

東北地方におけるイザベラの足どり

 

 日本人の容姿は貧相で,頬骨が盛り上がっており,まぶたは重く垂れ下がり,愚鈍に見える.また特に農村部では人々は虫にたかられ,落ち着いて眠ることも出来ないと,かなり辛辣な表現を用いている.

 しかし,彼女がそのような「奥地」ばかりを見たと言うのでは,バランスを欠くであろう.米沢平野を見たときの描写を引用してみる.

「米沢平野には,南に繁栄する米沢の町があり,北には湯治客の多い温泉場の赤湯があり,まったくエデンの園である.「鋤で耕したというより鉛筆で描いたように」美しい.米,綿,とうもろこし,煙草,麻,藍,大豆,茄子,くるみ,水瓜,きゅうり,柿,杏,ざくろを豊富に栽培している.実り豊かに微笑する大地であり,アジアのアルカデヤ(桃源郷)である.自力で栄えるこの豊沃な大地は,すべて,それを耕作している人々の所有するところのものである.」

米沢平野( CC BY-SA OpenStreetMap) すこし余談にそれるが,「赤湯」というのがどこのことなのか,最初地図で見つからなかった.米沢平野の北の方といえば,現在は南陽市のあたりかとおもい,オープンストリートマップを拡大してみると,しっかりと「赤湯」という駅の名前が残っているのが分かり,なにか嬉しくなってしまった.彼女の言う温泉場とは,現在の南陽市のあたりのことのようだ.

 余談はさておき,イザベラによる描写をもう少しつづけたい.

「...山腹を削って作った沼(地名)のわずかな田畑も,日当たりのよい広々とした米沢平野と同じように,すばらしくきれいに整頓してあり,全くよく耕作されており,風土に適した作物を豊富に産出する.これはどこでも同じである.草ぼうぼうの「なまけ者の畑」は,日本には存在しない.

 私たちは馬に乗って4フィート(1.2メートル)幅の道路を四時間ほど,これら美しい村々を通って進んだ.すると驚いたことには,渡し舟で川を越すと,津久茂で,地図では副道となっている道路に出たが,この道路は実際には25フィート(7.6 メートル)の幅があり,よく手入れがしてあり,両側に堀が掘られており,道に沿って電柱が並んでいた.」

 

さらに以下のようにつづく.

 「このように文明化した環境の中で,二人か四人の赤銅色の肌をした男が車を引く姿を見るのは,奇妙なものであった.

...また子供たちが,本と石板をもって,学課を勉強しながら学校から帰る姿もあった.」

 彼女は,実り豊かな桃源郷に,電柱と堀を備えた立派な馬車道ができ,そこに馬が引くのではなく奴隷のような日本人が引く人力車が行き交うという当時の状況に驚き,奇妙なものと感じたのだろう.いわば,江戸期がつくりあげた桃源郷に文明の象徴である電柱が立ち並び始める,当時の日本の劇的に変化する姿に遭遇している.

 イザベラは,「桃源郷」の所有者は,地主でも二本差でもなく,そこを実際に耕作している愚鈍な奴隷のように見える人々自身であると述べている.奴隷を道具のように使って文明を築き上げてきた西欧人にとっては,これは実に奇妙に感じられたことであろう.

ここで、すこしイザベラの認識を修正しなくてはいけない.当時の日本の状況では,耕作地の大部分は,庄屋から戸主と名を変えた地主の所有であった.農地が耕作者の所有となるには,1947年のGHQによる農地改革をまたねばならない.耕作地が、その耕作者自身のもちものでなければ、こんなに美しく耕作するはずないという風にみえたのだろう.「桃源郷」に見える米沢がどのような状況であったのか,興味は尽きない.

 ちなみに,翻訳者の高梨健吉氏は,米沢の出身だそうである.本書の解説の中でイザベラの描写を「それがあまりにも生なましい」と感想を述べている.高梨氏にも,まるで色彩を帯びるかのような描写にみえたのだろう.

 虫に刺されてガサガサの肌で,本と石板で勉強しながら道を歩くこどもたちが,我々の祖父や祖母たちの姿であったことを,21世紀に生きるわれわれに伝えてくれるイザベラの描写に,やはり感謝したい.

(CC BY-SA 2016. 1.15 Yasushi Honda)

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