2016.2.20モロラン道探索会議 について知っていることをぜひ教えてください
伊能忠敬やイザベラ・バードも通ったという古道,モロラン道を現在に復活させるべく,第1回探索会議を開きました.プロジェクタに地図を示しながら探索談義に花が咲きました.
もともと,イザベラ・バードの「やがて私たちは,街道を離れて,土砂降りの中を人の通らぬ小道にそれて行った」(「日本奥地紀行」p466)という記述にある,幌別から旧室蘭(現・崎守)へとぬける山道がどこを通っていたのか知りたいというのが,発端でした.
『新室蘭市史』を調べてみると,「室蘭街道」あるいは「モロラン道」と呼ばれる山道が,現在の鷲別辺りから,崎守町まで八丁平や白鳥台を越えて繋がっていたようです.この街道は江戸時代から存在し,有珠や伊達方面から,登別・白老方面へぬける道はこれしか存在していなかったようです.沢を横切って,何度も登り下りする険しいルートで,「七段坂」とも呼ばれていました.
井口利夫氏の「イザベラ・バードの通った道ー明治11年の室蘭を辿るー」(平成24年チリペッ郷土研究資料室)のなかでもこの「モロラン道」以外に可能性はないと考察されています.
先のイザベラの記述内の「街道」というのは明治6年(1873)ごろ開通した札幌本道のことをさしており,「小道」は「モロラン道」を指していると考えられます.「小道」の方にそれないで,そのまま進めばイタンキから母恋を経て新室蘭のトキカラモイ桟橋のあたりに出たはずです.このルートはイザベラは往路で通っており,帰り道では違う道を通ろうとしたことになります.
探索会議では,現在の地図(OSM)と1890年(明治23)の『北海道実測切図』を縮尺を調整して重ねて見ました.1890年はイザベラ・バードが室蘭を通ったその12年後にあたります.
『実測切図』の方は国会図書館デジタルコレクションからスクリーンショットでダウンロードしたこともあって,文字なども潰れており,海岸線なども途切れていますが,縮尺を調整すると,海岸線や登別と室蘭の境界線などが現在のOSMとおおむね一致させることができました.
モロラン道に当たるとおもわれる点線を赤い線でなぞってみました
やはり,楽山の北から,八丁平に登っていったようです.
ここからは,できるだけこのモロラン道に近い現在の道を探索していく作業になるとおもいます.
- チリベツから八丁平
- 八丁平から陣屋
- 陣屋から崎守
の3つの区間に大きく分けて,umap上に具体的なルートを描いていく作業をすることになりました.
(2016. 2. 21 Yasushi Honda)
沿道にある馬頭観音像
モロラン道を探索していると、よく出会うものに「馬頭観音」があります。
調べてみると、馬頭観音は「耕作地」や「街道」など、馬が活躍した場所に多く建立されているそうです。
室蘭は土壌が悪く、耕作には適してなかったそうですから、「街道」に面して建てられている可能性が高そうですね。
地形改変などにより、大部分が失われているモロラン道において、現役の道として最も長く現存していると思われる、
港北町から本輪西町にかけての区間で見つけた馬頭観音を紹介します。
港北町4丁目の馬頭観音
港北町4丁目にある「港北町中央」バス停の近くの橋を渡り、坂道を登った途中にあります。
地元の人が「豆腐屋の坂」と呼んでいるこの坂道は、現在の「市道港北中島通線」の新道が開通する前まで使われていた旧道です。
港北町の古老に聞き取りした際も、「昔中島に通じる道があって、国道と呼んでいた」という話だったので、
その前身は、モロラン道の一部だった可能性が高いと考えています。
ここの馬頭観音は、地神碑とセットです。この地神さまのことを、うちの祖父母は「山神様」と呼んでいましたが、
昔は本輪西八幡神社のお祭りとは別の日に、独自のお祭りをやっていました。最近はどうなんでしょうね。
本輪西町3丁目の馬頭観音
この馬頭観音は、本輪西八幡神社の車参道を入ってすぐのところにある、
即証寺さんの駐車場の片隅にあります。ただ、台座が新しいコンクリなので、
おそらく移設されてきたものと思われます。
室蘭市内の馬頭観音は、ただ石碑に「馬頭観音」とか「馬頭観世音」という文字が掘られているだけのものが多いのですが、
ここの馬頭観音はお姿がはっきりしています。
最初はその雄姿から不動明王かと思ったのですが、よく見ると炎を背負ってないので、
違いそう、と思って調べてみたら馬頭観音でした。
参考までに以下サイトをご覧ください。
ページ中程にある「福井県・中山寺/馬頭観音菩薩像坐像」とこの像、とてもよく似ています。
https://butsuzolink.com/bato/
柏木町の馬頭観音
港北中学校のすぐ近くにある馬頭観音像です。
ここは、港北町4丁目の馬頭観音と同じく、地神碑とセットで安置されています。
ここは主要な街道に面しておらず、何故ここに馬頭観音が建立されたのかが不明です。
ただ、台座が場違いに新しいので、もともと別の場所にあったものがここに移設されたのかもしれません。
ここは引き続き調査してみたいと思います。
[2020.4.20 山田 正樹 ]